菊水の歩み・こだわり
HISTORY & KODAWARI
「商品秘話」
ロングセラー商品 知床ざるそば 誕生背景
2019.04.30
~みどり色の変わり蕎麦の誕生~
羅臼昆布とそばが融合したのは45年前のことです。いまは北海道のスーパーでは必ずと言っていいほど並んでいる「知床ざるそば」。この商品が多くの人に愛されるまでには、長い道のりと沢山の人との関り、そしてちょっとした運がありました。
実は、この商品開発には当時、知床が着目されてきたある時代背景がありました。1960年(昭和35年)映画「地の涯に生きるもの」の撮影で知床の羅臼に長期滞在していた俳優の森繁久彌が、滞在最終日に羅臼町民の前で「さらば羅臼よ」という曲名で歌った自作の歌は多くの町民の心を打ちました。
森繁久彌は、その後この歌を「知床旅情」として1962年(昭和37年)のNHK紅白歌合戦で披露し、
さらに1970年(昭和45年)に、加藤登紀子がこの「知床旅情」をリリースすると、ますます聴衆の心を捉え、1971年(昭和46年)には、オリコンヒットチャート7週連続1位という快挙を達成するまでになりました。
さて当時から菊水の蕎麦はおいしいという評判をいただいていましたが、代わり映えのない蕎麦の商品がそろう中、北海道のおいしさを練り込んで他にはない蕎麦をつくりたいという思いと、この知床と羅臼のイメージが頭と鼻の奥で大きく交差しました。
蕎麦とは味だけではなく、「香り」と食感を楽しむシンプルな麺。そこに、なにか日本人に愛されている香りをプラスしよう。そうだ、毎日の食卓に出てくる漬物、お味噌汁、様々な食材に隠れて使われている「昆布」はきっと蕎麦もおいしくしてくれるはず。
もちろん着目したのは当時認知されてきた知床、その特産である羅臼産昆布です。羅臼の昆布は香りや味がしっかりしていて北海道でも自慢の特産品でした。そばとの相性もよく、爽やかな味わいの中にも深みのある味わいに仕上がりますが、海藻だけでは色味がくすんでしまうので、そば粉には色味がくすまないように更科粉という蕎麦の実の中心部分を挽いた白い粉を使用し、さらに当時流行だったクロレラ粉末も加えて、鮮やかな緑色の麺が誕生したのです。
当時から、蕎麦はルチン(ポリフェノールの一種)を含み健康的な食べ物というイメージがあり、昆布や海藻を加えることで出汁の旨みと、さらに「身体に優しい」というイメージが広がりました。